海底線まめ知識

おもしろ逸話第19話: 「大北電信会社出現前後における日本周辺の状況」 その1

今回からは各々の特徴的な時代について述べます。

1.アメリカ、アジア、ヨーロッパを結ぶ最初の太平洋横断海底線連絡計画

― 第2次大西洋横断海底線の成功により工事半ばで中止 ―

欧米の国際通信線系が、最初にアジアに延びてきたのは、AtlanticTelegraphCo.の大西洋横断海底線が不通となったことに起因するといえよう。すなわち、1858年8月にいったん成功したにもかかわらず、この線はかろうじて2週間あまり使用されたのち不通となった。このためアメリカ、カリフォルニアから太平洋岸を北上、当時ロシア領のアラスカからベーリング海峡を渡り、シべリアを経てヨーロッパに連絡しようとする1万6,000マイルの長大な通信路の建設計画がにわかに脚光を浴びることとなった。もっとも、このアジア回りの計画も突然出たものではなく、その前に序幕となる一つの計画があった。

それは野心と度胸をもった電信の企業家であるシャフナー(TaliaferroP.Shaffner)の1854年におけるグリーンランド、アイルランド経由の大西洋横断計画である。この計画はホイトストン(SirCharlesWheatstone)、ファラディ(MichaelFaraday)、シーメンス(WernerSiemens)らによってかねてから研究されていた絶縁体ガタパーチャに着目して行なわれたものである。シャフナーはサミエル・モールスを幸運な盗人(Luckyrobber)と呼びながら大いに彼を利用した人である。
グリーンランド付近の海洋で行なった実験の結果、その実現がむずかしいことが明らかになったので、シャフナーは、アラスカからシベリアを経由する欧米連絡線を考え出して、ロシアに渡り、その政府に協力を求めたのであった。

これに刺激されてか、1857年に、ロシアの東部シベリア総督ムライヨフの建議により、ロシア政府交通長官チェフキンは、シべリア、黒竜江岸ニコライエフスク、樺太、千島、カムチャッカ、アリューシャン群島からアメリカへの通信線を国費補助のもとに建設することを計画した。そして、西シベリア評議会の積極的な動きもあって、勅許を得た後、陸線の建設が行なわれた。これにより、1862年にはオムスクまで、1863年にはカザンを経てイルクーツクまで、1866年には、ついにニコライエフスク〜ハバロフスク〜ウラジオストック間の連絡線が完成したのであった。ニコライエフスク〜ハバロフスク〜ウラジオストック間の連絡線

HirumSibleyシャフナーと通していたかどうかはっきりしないが、1850年代にニコライエフスクに駐在していたアメリカ領事コリンズ(PerryMcdonoughCollins)の提出したアリューシャン、アラスカ経由欧米連絡線建設計画があった。これが、勇気と実行カの主、ウェスタン・ユニオン電信会社社長シブレー(HirumSibley、写真右)のとりあげるところとなり、領事の職をやめて在ロシア通商代表となったコリンズに協カさせ、資本家の参加を求めて実行に移されたのが前記の1万6,000マイルの長大な建設計画である。

はじめ、1861年に、この大計画がアメリカ議会に提出されたが、当時南北戦争の危険に直面していたアメリカの政治情勢から、多くの注意を集めることはできなかった。しかし、dynamicdreamerといわれたシブレーは、コリンズを介してロシア政府の了解工作を進めた後、1864年に、自ら露都を訪問し、皇帝をはじめ、政府高官と折衝した。

前記のごとく、かねてからのロシア政府の計画と相通ずるものがあって、実現の見通しを得た彼は、この大建設事業遂行のため、その完全な支配下に、カリフォルニア・ステート・テレグラフ会社(CaliforniaStateTelegraphCo.)を起こした。アラスカ以遠の工事については別にウェスタン・ユニオン・ロシア拡張電信会社(WesternUnionRussiaExtensionTelegraphCo.)を起こしてこれに当たらせた。この計画は、大西洋横断海底線計画の立役者であり資本家でもあるサイラス・フィールド(CyrusW.Field写真下)が、シブレーの背後にあって協カしたことはもちろんで、彼自身、二度までロシア政府を訪問して交渉を行なっている。

CyrusW.Fieldオレゴン州、ワシントン北部、さらにアラスカにおける人跡未踏の荒野、湿地、岩山、峡谷や密林を架渉する作業は言語に絶する難工事であったが、太平洋岸とシベリアにおいて、それぞれ約300マイルの陸線工事が、驚くべき速さで進められた。

この難工事に日夜挺身する現地作業部隊に、一片の中止命令が到着したのは、第2次大西洋横断海底線が成功した1866年7月であった。無駄となった投資は300万ドルに上ったが、投資家から一言の苦情もなく、荒野に切り開かれた異様な通行路と、野晒しの無数の電柱が残された。

この史上空前絶後といわれる無駄Magnificentfailureは歴史への大きな置きみやげを残した。

その1は、ロシアからのアラスカの買収であるが、シブレーがロシア政府と交渉中に、高官連の顔色によって、アラスカを譲渡する気配ありと判断し、帰国してからアメリカ政府と議会に働きかけたが、全く反応がなく、国務長官で対外積極論者であったシェワード(WilliamHenrySeward)によってついに1867年、わずか720万ドルでこれの買収が実現した。

その2は、すなわち、アメリカの通信計画に刺激されて、ロシアが建設した長途太平洋岸に達する電信線である。

(本文は「海底線百年の歩み」海底線施設事務所編より引用しました)


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