日本での海底通信ケーブル年表

日本での海底通信ケーブル年表

日本での海底通信ケーブル年表

明治5(1872)

8月

関門海峡・前田~雨ケ窪間(1.1km)に本邦最初の1心GP海底電信ケーブル布設(担当、独人シェーファおよびジョンス)

2月

関門海峡(前田~雨ケ窪)に第2海底電信ケーブル布設

4月

国内電信線、長崎で大北電信会社と連絡

明治7(1874)

8月

福島~今別間海底ケーブル布設工事を大北電信会社に託し起工

10月

津軽海峡、福島~今別間(40.2km)にストアノルデスケ号により海底電信ケーブル2条布設

明治8(1875)

2月

明治丸、英国グラスゴーより横浜へ回航

6月

相模国馬入川に最初の水底電信ケーブル(1心GP 0.5km)布設

明治9(1876)

12月

備讃海峡、渋川~乃生(現在の王越)間(8.2km)に1心GP海底電信ケーブル布設

明治10(1877)

7月

津軽海峡海底ケーブル修理、(大北電信会社へ委託)完了(本邦初の修理工事)

明治11(1878)

12月

備讃海峡、渋川~乃生間に1心GP海底ケーブル2号線布設

明治12(1879)

3月

備讃海峡海底ケーブル2号線に初めて虫害を発見。以後テレドプロテクト線を使用する

明治15(1882)

3月

山口県神代~椋野間(3.4km)に2心GP電信海底ケーブル布設

8月

青森県一本木~函館大森浜間(67.3km)に2心GP海底電信ケーブルを布設(大北電信会社施工)

12月

明石海峡、垂水~岩屋間(5.0km)に海底電信ケーブル布設

明治23(1890)

9月

津軽海峡、佐井~大森浜(44.7km)に1心GP海底電信ケーブル2条布設(邦人のみによる最初の工事。明治丸使用)

明治24(1891)

4月

大北電信会社所有の呼子~厳原間海底電信線を買収(銀8万5千円)

7月

噴火湾、砂原~室蘭間(31.3km)に1心GP海底電信ケーブル布設
越佐海峡、寺泊~真浦間(55.1km)に1心GP海底電信ケーブル布設

明治25(1892)

10月

呉~江田島間(2.3km)に1心GP海度電信ケーブル布設

明治26(1893)

7月

長崎平畑~五島田部手間(96.7km)に1心GP海底電信ケーブル布設
※横浜市北仲通り6丁目に貯線池新設(推定)

明治27(1894)

1月

天草諸島、大矢野島~天草土島間(3.5km)に1心GP海底電信ケーブル布設

明治28(1895)

6月

英国に沖縄丸建造を発注

7月

英国へ海底ケーブル 1,678海里発注
壱岐初山~対馬野良間(80.7km)に1心GP電信海底ケーブル布設(2号線)
長崎白浜~五島戸楽間(97.3km)に1心GP電信海底ケーブル布設

明治29(1896)

2月

長崎貯線槽新設

4月

布設船沖縄丸竣工(英国グラスゴー・ロブニッツ会社)

6月

沖縄丸英国より長崎へ到着

8月

鹿児島大浜~奄美大島~沖縄島間(758.0km)に1心GP電信海底ケーブル布設

12月

愛媛県玉井~大分県三崎間(39.4km)に2心GP電信海底ケーブル布設
広島県地御前~厳島間(2.4km)に1心電信海底ケーブル布設

明治30(1897)

5月

沖縄島~石垣島~台湾淡水間(850.1km)に1心GP電信海底ケーブル布設(現波通信機使用のはじめ)

9月

島根県手酌~太井~塩浜間(91.6km)に1心GP電信海底ケーブル布設

明治31(1898)

7月

砂原~室蘭間(33.4km)に1心GP電信海底ケーブル2号布設

明治32(1899)

8月

北海道国後島~択捉島間(58.8km)に1心GP電信海底ケーブル布設

9月

稚内(抜海)~利尻島~礼文島間(49.9km)に1心GP電信海底ケーブル布設

明治33(1900)

5月

関門海峡、黒門~藤ヶ山(34km)に市外電話回線用として日本最初の8心GP浅海ケーブル布設

9月

北海道根室~国後高間(38.2km)に1心GP電信海底ケーブル布設

10月

北海道苫前~焼尻島~天売島間(29.9km)に1心GP電信海底ケーブル布設
青森県一本木~北海道木古内間(56.4km)に2心GP電信海底ケーブル布設

明治34(1901)

1月

呉市駿河~四国柳原間(36.0km)に4心GP電信海底ケーブル布設

5月

鹿児島谷山~大浜間(48.5km)に1心GP電信海底ケーブル布設

明治35(1902)

1月

山口県室積~大分県熊毛間(39.4km)に3心GP電信海底ケーブル布設

3月

伊豆河津浜~大島間(41.4km)に1心GP電信海底ケーブル布設

明治37(1904)

1月

佐世保~大連間(224.9km)に1心GP電信海底ケーブル布設

2月

卒土浜(対馬)~巨済島~漆原半島間(147.4km)に1心GP電信海底ケーブル布設

9月

山口県角島~沖ノ島~対馬間(159.4km)に1心GP電信海底ケーブル布設
※日露開戦に伴い海底線大拡張開始

明治38(1905)

5月

東京~グアム間海底電信線中川崎~父島側布設工事に着手(39年6月竣工)

7月

北海道猿払~樺太能登呂間(100.9km)に1心GP電信海底ケーブル布設
稚内坂ノ下~樺太海馬島経由アレキサンドロフスク間(687.1km)に1心GP電信海底ケーブル布設

11月

松江~欝陵島~元山間(866.4km)に1心GP電信海底ケーブル布設

明治39(1906)

6月

川崎~小笠原父島間(1235.9km)に1心GP電信海底ケーブル布設(担当 梶浦重蔵)12月陸揚地を深川越中島に変更

8月

布設船小笠原丸竣工
小笠原島父島~母島間(72.4km)に1心GP電信海底ケーブル布設

10月

大島~新島~三宅島~八丈島(252.8km)に1心GP電信海底ケーブル布設

明治40(1907)

1月

四国今治~大島~伯方島~大三島~生口島間(18.3km)に1心GP電信海底ケーブル布設

7月

青森磯野~函館大森浜間(108.8km)に1心GP電信海底ケーブル布設
樺太久春内~名寄~真岡~海馬島間に1心GP電信海底ケーブル布設

明治41(1908)

10月

鳴門~瀬戸間(0.6km)に1心GP電信海底ケーブル布設

12月

四国惣開~四坂島間(18.8km)に2心GP電信海底ケーブル布設

明治42(1909)

6月

大連~芝素間(166.1km)に1心GP電信海底ケーブル布設(8.16 一般公衆通信取扱い開始)

7月

香川県竹居~小豆島間(10.1km)に2心GP電信海底ケーブル布設

明治43(1910)

5月

鹿児島新牛掛~大浜間(48.8km)に1心GP電信海底ケーブル布設

10月

長崎県茂木~台湾淡水間(1,263.1km)に1心GP電信海底ケーブル布設

明治44(1911)

5月

巨文島~朝鮮興陽半島間(67.4km)に1心GP電信海底ケーブル布設

明治45 大正1(1912)

3月

山口県吉見~朝鮮岩南間(215.7km)に1心GP電信海底ケーブル布設
兵庫県須磨~淡路島楠本間(15.2km)に4心GP電信海底ケーブル布設

9月

石垣島~宮古島間(160.9km)に1心GP電信海底ケーブル布設
紀淡海峡(友ヶ島~淡路島間)に本邦最初の鉛被海底ケーブル布設(軍用)

大正2(1913)

10月

日支間電信協定成立。これにより上海に日本電信局設置
長崎~上海間の日本政府海底線の陸揚権獲得

大正3(1914)

10月

長崎茂木~沙尾山間(871.9km)に1心GP電信海底ケーブル布設
上海~青島間海底ケーブル(独)を利用、青島側を労山湾、上海側は前記長崎~沙尾山線を沙尾山で接続し長崎~労山湾間電信海底ケーブルを作成(臨時、軍用1,406km)

大正4(1915)

1月

本邦長崎~上海間海底線完成(沙尾山~宝山間にケーブルを布設し、前記長崎・沙尾山線と接続)、海外和文電報取扱い開始

4月

岡山県矢出~香川県青梅間(13.1km)に4心ゴム電話海底ケーブル布設

5月

佐世保~青島間(983.2km)に1心GP電信海底ケーブル布設(青島~芝罘および沙尾山~労山湾撤収線使用)

大正5(1916)

6月

38年ドイツの布設した上海~ヤップ間回線を沖縄西方で切断し、これを沖縄に陸揚げし那覇・ヤップ線作成(2,869km)

大正6(1917)

7月

長崎県茂木~台湾淡水間(1,292.2km)に1心GP電信海底ケーブル布設

9月

東京~グアム間日本海底線をミュアヘッド式二重通信法に改良

10月

台湾布袋~澎湖島間(72.2km)に1心GP電信海底ケーブル布設

大正8(1919)

2月

山口県吉見~朝鮮岩南間(213.3km)に1心ゴム海底電信ケーブル布設(3号線)

大正9(1920)

7月

青森県磯野~函館大森浜間(108.5km)に4心GP海底電信ケーブル布設(2号)

大正10(1921)

4月

長崎県茂木~大連間(1,202.0km)に1心GP海底電信ケーブル布設(南満州鉄道会社施設、逓信省運用)

大正11(1922)

11月

岡山県渋川~香川県乃生間(10.9km)に16心平等装荷鉛被紙海底電話ケーブル布設(住友製)
※備讃および下関海峡に本邦最初の国産4心GP電話海底ケーブル布設(古河製、鉄道省用)、本格的なGP海底線製造始まる

大正12(1923)

3月

布設船南洋丸竣工

5月

因島~向島間(5.2km)に4心入平等装荷GP電話海底ケーブル布設(古河製)

6月

因島~生口島間(1.3km)に4心入平等装荷GP海底ケーブル布設(古河製)

9月

南洋丸、沖縄丸、関東大震災罹災者救援に大活躍

大正13(1924)

9月

佐賀呼子~壱岐初山間(35.4km)に4心GP海底電話ケーブル布設
200対鉛被紙水底ケーブル1条を隅田川に布設

大正15 昭和1(1925)

2月

山口県室津~朝鮮龍湖間(215.6km)に2心GP電信海底ケーブル布設

4月

津軽海峡石崎~当別間(65.0km)に4心連続装荷バラタ電話海底ケーブル布設(内地~北海道間、海底ケーブルを通じ電話開通)

11月

下関海峡(三軒屋~大刀浦3.6km)に14対平等装荷鉛被紙海底ケーブル布設
400対鉛被紙水底ケーブル1条を隅田川に布設

昭和2(1927)

3月

四国平磯~大分県志生木間(44.2km)に4心平等装荷バラタ海底電話ケーブル布設

4月

呉、駿河~四国柳原間(34.1km)に8心平等装荷鉛被紙海底電信ケーブル布設

昭和3(1928)

3月

新潟県角田浜~佐渡莚場間(38.8km)に4心平等装荷バラタ海底電話ケーブル布設

4月

津軽海峡、石崎~当別間(64.2km)に4心平等装荷バラタ電信用海底ケーブル布設

12月

伊豆河津浜~新島間(57.6km)に1心GP海底電信ケーブル布設

昭和4(1929)

5月

明石海峡須磨~楠本(17.0km)および鳴門海峡阿万浦~里浦(11.6km)に14対平等装荷鉛被紙海底ケーブル布設

8月

佐賀県大神~壱岐大久保間(30.0km)に2心平等装荷鉛被紙電話海底ケーブル布設

12月

佐賀県大神~対馬勝見浦間(101.1km)に4心平等装荷電話海底ケーブル布設

昭和5(1930)

12月

出雲大芦~隠岐太井間(59.3km)に4心平等装荷鉛被紙電話海底ケーブル布設

昭和6(1931)

5月

東京~小笠原父島間海底ケーブルの東京側陸揚地を鎌倉に変更、鎌倉電信中継所開設

11月

朝鮮海峡における海底電信ケーブルに搬送電信実施試験、結果良好

昭和7(1932)

7月

神奈川県大津~千葉県富津間(16.1km)に4心GP電話海底ケーブル布設
島根県太井~西郷間(36.2km)に12心線輪装荷鉛被紙海底電話ケーブル布設
(わが国最初・鋼線補強初めて使用)

10月

朝鮮海峡(下関~釜山間)において海底ケーブルによる電話実験

昭和8(1933)

4月

対馬尾崎~朝鮮岩南間(90.9km)に4心GP平等装荷電話海底ケーブル布設

7月

津軽海峡海底ケーブルに搬送式電話実施

昭和9(1934)

2月

岡山県渋川~香川県乃生間(9.9km)に28心平等装荷鉛被紙電話用海底ケーブル布設

9月

北海道猿払~樺太女麗間(162.8km)にパラガッタを使用した同心型1心、電話海底ケーブル布設

昭和11(1936)

10月

山口県小野田~福岡県苅田間(24.6km)に28対鉛被紙無装荷搬送海底ケーブル布設

昭和12(1937)

8月

福岡~壱岐~対馬~釜山間(201.0km)に14対鉛被紙無装荷搬送電話海底ケーブル布設(鋼帯補強初めて使用)
沖縄丸、上海において支那空軍の爆撃を受ける

11月

布設船東洋丸進水

12月

大連・芝罘線引揚げ、大連~天津間(428.8km)海底電信ケーブル布設(1号線小笠原丸施工)
※宗谷海峡猿払~女麗間の同心型ケーブルに振動式による複流式自動二重を重畳する実験施工

昭和13(1938)

6月

台湾澎湖島~支那厦門間(176.2km)に1心GP電信海底ケーブル布設
布設船東洋丸竣工

7月

布設船沖縄丸、東洋丸竣工に伴い廃船、払下げとなる(14年10月大阪名村造船所で貨物船に改造竣工)

12月

高雄~広東間(795.2km)に海底電信ケーブル布設

昭和14(1939)

5月

広東~海南島海口間(617.3km)に1心GP電信海底ケーブル布設
※マーシャル群島クエジェリン島内ほか島内に海底ケーブル布設(海軍委託)

昭和15(1940)

9月

海南島海口~仏印海防間(387.7km)に1心GP電信海底ケーブル布設

昭和16(1941)

2月

パラオ本島~コロール島間に30対鉛被紙海底ケーブル布設

4月

サイパン~テニヤン間(1号~11.2km、2号~13.8km)に30心鉛被紙電話海底ケーブル布設
トラック諸島内3個所に海底ケーブル布設

12月

東京湾大津~富津間(19.6km)に28対二重鉛被紙電話海底ケーブル布設

昭和17(1942)

3月

グアム・ヤップ・メナド線をパラオに引き込み、パラオ・ヤップ線、パラオ・メナド線を構成

7月

呉~松山間(35.3km)に14対鉛被紙搬送電話海底ケーブル布設

8月

紀淡海峡、淡輪~洲本間(26.4km)に28対鉛被紙搬送電話海底ケーブル布設
鳴門海峡、阿万浦~里浦間(1,116km)に28対鉛被紙搬送電話海底ケーブル布設

12月

香港占領地総督部、海底線工事事務所 香港出張所設置

昭和18(1943)

2月

豊後水道、玉井~三崎(40.2km)に4心特殊GP搬送海底ケーブル布設

5月

海光丸買収(s32.7廃船)

6月

対馬棚木~朝鮮池浦間(91.0km)に14対無装荷鉛被紙搬送電話海底ケーブル布設

8月

長崎~上海間海底ケーブル(日本)障害のまま通信停止

10月

津軽海峡、石崎~当別間(67.5km)に8対搬送鉛被紙電話海底ケーブル布設

11月

北海道猿払~樺太女麗間(174.4km)に4心平等装荷バラタ絶縁電話海底ケーブルおよび1心電話海底ケーブル2条布設

昭和19(1944)

2月

布設船東洋丸、長崎~淡水2号線修理工事探線作業中、基隆北々西30海里において潜水艦の魚雷を受けるも被害なし
布設船南洋丸、西表島船浮港西方5海里の地点で潜水艦の魚雷を受け沈没

8月

対馬勝見浦~壱岐半城間(68.4km)に14対鉛被紙電話海底ケーブル布設

9月

福岡~壱岐大久保間(39.7km)に14対鉛被紙電話海底ケーブル布設
香港で沈船ジョセフィンモーラー号(香港丸後相模丸と改名)を応急修理し、横浜へ回航
森~室蘭間(342km)に28心無装荷鉛被紙搬送電話海底ケーブル布設

昭和20(1945)

2月

布設船小笠原丸、静岡県下田港にて空撃を受ける

5月

津軽海峡、石崎~当別間(64.1km)に2対特殊GP搬送電話海底ケーブル布設

6月

豊後水道、神崎~安岐間(46.6km)に28心搬送鉛被紙1号電話海底ケーブル布設

7月

布設船東洋丸、下関海峡田浦河にて触雷により坐礁大破

8月

布設船小笠原丸、北海道増毛沖約4海里で魚雷攻撃を受け沈没

12月

釣鳥丸を布設船として第2復員局から逓信院に貸与される

昭和21(1946)

1月

逓信院海底線工事事務所尾道出張所新設

2月

勢運丸買収

昭和22(1947)

1月

相模丸、改装工事完

6月

津軽海峡、石崎~当別間(70.5km)に8対ゴム鉛被紙搬送電話海底ケーブル布設

昭和23(1948)

1月

鳴門海峡、阿万浦~里浦間(14.Okm)に28対ゴム鉛被紙無装荷搬送電話海底ケーブル布設(2号線)

2月

紀淡海峡、淡輪~洲本(28.0km)に対ゴム鉛被無装荷搬送電話海底ケーブル布設(2号線)

9月

海底ケーブル電極探線工法採用

10月

相模丸を船舶運営会に変還
布設船千代田丸竣工(長崎出張所に所属)

昭和24(1949)

3月

森~室蘭間(31.3km)に8対無装荷鉛被搬送電話海底ケーブル布設(18年、津軽海峡に布設したケーブルを再用)
※水素、酸素ガスによる鉛被紙海底ケーブル接続工法採用

昭和25(1950)

5月

津軽海峡、石崎~当別間(68.8km)に8対特殊GP搬送電話海底ケーブル布設

7月

国連軍要請により対馬卒士浜一朝鮮池浦間(129.1km)にテレタイプ用として4心GPと4心バラタ(平等装荷)を接続した海底ケーブル布設

8月

豊後水道、神崎~安岐間(44.2km)に14対搬送鉛被紙海底ケーブル布設(2号)

昭和26(1951)

9月

新潟寺泊~佐渡真浦間(48.7km)に2対特殊GP搬送電話海底ケーブル布設(18年豊後水道に布設したケーブルを再用)

10月

森~室蘭間(33.2km)に最初の8対PE搬送電話海底ケーブル布設(初めてPEケーブル海底線を使用)
※海底ケーブル心線の絶縁体にPEを採用(従来はGP)
※PE搬送電話海底ケーブル製造
※PE多対鉛被海底ケーブル製造

昭和27(1952)

※塩化ビニール被覆による防蝕鎧製鉄線採用

8月

日本電信電話公社発足

11月

分杜機構改正に伴い施設局施設部海底線工事課を海底線施設事務所と改称、本社付属機関となる
横浜海底線工事事務所設置

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